大三島に移住した某薬剤師の脳みその中

生き物らしく生きたい!と思い大三島へ。毎日が冒険。

おじいちゃんとおばあちゃん

京都の母が送り火の写真を送ってきてくれました。

 

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もう亡くなって何年も経ちますが、父方の祖父母の影響は大きいなぁ、と今更思うことしばしば。

 

 

 

祖父はいつもニコニコ、トランプやらボードゲームやら花札やら、遊んでくれとせがめばいつまでも付き合ってくれました。

そんな祖父が固い顔をしたのは思いつく限り一度だけ。

公園で一輪車の練習をしていて (だったかなぁ?) 転び、左手小指をガラスで切った時ぐらいのような気がします。

網戸を洗ったり障子を張り替えるお手伝い (9割邪魔しているだけ) するの、楽しかったなぁ。

あの時代の男の人としては本当に威張ったところのないおじいちゃん、大好きでした。

ひとが亡くなるとはどういうことなのか、はじめて理解したのはおじいちゃんの最期でした。

 

 

 

祖母はとてもよく頭が回る賢い人でした。

歳をとってからは持病の影響もあって気難しい部分もありましたが、子供ながらに「将来はこんな事をしたい」「私はこんなことを考えている」などといった事に関してはいつでも真剣に話を聞いてくれました。

孫の私にはとても優しかったですが、ふわふわとした考えに対する確認や質問は非常にシビアでした。

おばあちゃんと「今」話すことができたら何を言われるかなぁ…、いまでもときどきエアーおばあちゃんと脳内空想ディスカッションをすることがあります。

誇れる身体的特徴がない私ですが、唯一とても気に入っている手の爪は祖母そっくりです。

 

 

 

 

何かの宿題で2人に戦争体験を聞いたことがあります。

内容はあまり覚えてはいないのですが、あのおじいちゃんとおばあちゃんが年表上のたったの数行にすぎない「第二次世界大戦」を必死の思いで乗り越えてきたのを聞いて、歴史と今は繋がっているのを強く感じたのを覚えています。

本や教科書に書いてあることでも直接体験したり、直接体験した人から学ぶのは違う。

…そんなことを教えてくれました。

 

 

 

おじいちゃんも、おばあちゃんも、雲の隙間から、草の陰から、私を見てくれているのを感じます。

きっとハラハラしながら見てるんだろうなぁ…フラフラした孫ですいません。

 

 

 

お盆も終わりです。