大三島に移住した某薬剤師の脳みその中

生き物らしく生きたい!と思い大三島へ。毎日が冒険。

出産前後のあれこれ

娘が生まれてはや半年以上たちました。

毎日かわいい、毎日たのしい。

世間一般と比べても、おそらくかなり平和な子育て生活なのでは…?

ありがたや、ありがたや…。

 

 

 

今更ながら出産前後のあれこれを。

備忘録みたいなもんです。

 

 

 

妊娠するまで。

 

まあまあトシなのでとにかくあれこれ言われました。

「とにかく早く」

「仕事は何とかなるから」

「絶対自分の子は可愛いから」

「コンビニ弁当なんて食べて!」

 

まぁ、言いますよね。

しかも「良かれと思って」ですよね。

分かるんですよ、その気持ち。

分かりますもん、今。

どう考えても子育ては体力勝負だから「若くない」よりかは「若い」ほうがいいし、どんな仕事でも半年や一年ぐらいなんとかなるし、そもそも私一人消えたところで社会が回らなくなるわけない。

産前あれだけ「可愛く思えないかも…」と心配した子どもは何のこっちゃない、めちゃくちゃ可愛いし。

妊娠中の食事も「オーガニックでナチュラルでバランスとれた食事」と「フライドポテト」ならばそりゃ前者のほうがいいかもしれません。

 

ですが!

 

うるせぇんだよコンチクショーーーー!!

 

でした。はい。

みんなありがとう。

でもストレスになるだけでした。はい。

分かってるし。そんなこと。

何なら真剣に子どもほしい人のほうがよく調べて知っているし。焦っているし。

子どもはあきらめた、あるいは欲しくない人たちはその人たちなりに考えたり悩んだりした結果だし。

 

「白菜ならあのスーパーより道の駅のほうが10円安くてきれいで大きかったわよ」みたいな感覚で人の人生に何か言わないようにしよう、と深く胸に刻み込むこととなりました。(妊娠出産に限らず。)

 

 

 

妊娠発覚後すぐつわりの洗礼を受けました。

とはいえ、そこまでひどくはなかったほうだと思います。

仕事中は飴をなめたりお茶を飲んだりしながらなんとか気合でごまかせる程度。

(すきっ腹も満腹も辛かったので絶妙な腹具合をキープする必要あり。)

帰宅後は緊張感や集中力が切れて疑似死体でしたが…。

引っ越し前の家のトイレはすごく寒かったので凍えながら吐いていました。

 

それまで落語なんてめったに聞かなかったのに、つわりでくたばっているときはよく落語を聞いていました。

あと、今日ヤバイ奴に会った - YouTubeばかり見ていました。

インドの屋台料理を作る様子をただひたすらUPしてあるんです。

ウケ狙いなし、どっきりなし。

でも中毒性があります。

おすすめ。

(つわりでオエーとか言いながらカレー作ったりしている動画を見ている妊婦…シュール…。ちなみにつわりがひどくてもカレーは食べられました。)

 

 

 

つわりが終わってしまえばこっちのもの!

わりと元気な妊婦だったと思います。

産休に入ってからは庭仕事したり、ゲストハウスの塗装などをしたり、バタバタ、ばたばた。

 

妊婦検診は今治の病院に通っていたのですが、病院に行っているのやら、お気に入りのうどん屋さんに行っているのやら…おかげで一回妊娠糖尿病の疑いをかけられました。(うどん食べてすぐ病院に行ってすぐ採血だったんですよね…、75gOGTTではむしろ血糖値は低いほうでした。)

 

もともと太っていたので「貯金があるから1gたりとも太らなくて大丈夫」と指導され、また、不思議といわゆる「妊婦のドカ食い衝動」もなく、体重はほぼ増えずにそのまま出産へ。

(そのため、公衆浴場の常連メンバーにも10か月近くなるまで妊娠がバレていなかった…。どんだけ太ってたんや…。)

 

破水が先に来てしまったので全く痛みのないまま入院、入院から半日ほどで「これが陣痛…なのか…?」という痛みが来はじめました。

正直、たいして痛くない…なーんだ、楽勝!と思っていたらあれよあれよという間に全開大、もちろんクソ痛い、ナメてましたごめんなさい。

でも、その時来たお食事の生パイナップル(大好物)は食べましたが。

立ち合い予定の夫とも無事合流してあっという間にスポーンと出産。

あっという間すぎて股が裂けました。(ゆっくり出産ならばそこまで裂けないそう。)

 

元気な女の子とご対面。

はじめて娘を見た感想は「うわ、髪あるわ」だったとか。

(夫の家系はわりと生まれてすぐから髪が濃いようです。私の家系は禿茶瓶派。)

娘とはここでさよなら、しばし病院スタッフさんたちにお預け。

 

裂けた股のせいで出血が多く要観察になったため分娩台でそのまま一晩を過ごすことになりました。

分娩台は硬かった…ウトウトしては点滴交換、ウトウトしては身体の痛みで起きて疲労困憊の朝を迎えました。

 

俎板の上の鯉のような一晩が過ぎて、病室に帰ったのは次の日の午前。

まあとにかく股が痛い。

もう、股。

頭の中は9割以上、股。

 

わりとすぐに母子同室になり、「はじめてのおかあさん」をするわけです。

おむつ替えたり、おっぱいあげたり、あやしたり…。

可愛いなぁ、うれしいなぁ、という気持ちは、確実に、ある。

でも、頭の中は「股警報」でいっぱい。

出産って大変なんですね、股が。

産後最初の排便(すいません。生き物の理ですので許して。)は大学入試よりも就職してはじめての重要案件のプレゼンよりも緊張しました。

(出産をみてくださった先生も「大丈夫、みんな排便しても股裂けないから!」と言っていたので、おそらくかなりの産婦さんが股警報で苦しんでいるのでしょう。)

 

入院中、夫や実母が来てくれたので娘を見てもらって寝ていました。

娘、夜は比較的おとなしかったので(今もですが)、私もまあそれなりに眠れて聞いていたほどには辛くもなく。

 

その後、退院して、出生届だの健康保険のあれこれだのめんどくさいのを片付けて(てか、こういうのこそマイナンバーカードとかで何とかしろよ、と思ったのは私だけではあるまい。本気でマイナンバーカードを運用する気があるならば「〇〇年以降の生まれの者は強制的に出生時にカードを作成し、それであれこれやる」的な感じにしないとダメでしょ。、その後は穏やかに育児と休息に専念を…と思いきや、まぁ、股警報股注意報になったあたりからやっぱり動いちゃいますよね。

生活に関してはしばらく実母があれこれ世話を焼いてくれたのは本当に助かりましたが、ゲストハウスのことなどは自分らで決めることなので、ね。

 

 

 

その後、娘は特に大きな病気もなく、これといってひどい夜泣きや癇癪もなく、わりとご機嫌よく育っています。

私の股も産後あれだけ存在を主張していたのに、もう存在を忘れるぐらい謙虚になりました。

 

私は生まれつき股関節が悪かったので(今は全く問題ないですが)娘も心配しましたが、どうも大丈夫そうで一安心。

それでもいろいろ親というものは不安がつきないもので、今は分からない障害はないだろうか、今後大きな病気や怪我をするのではないだろうか、など、やたらいろいろピリピリしてしまいます。

そのほかも収入は足りるだろうか、大きな自然災害は来ないだろうか、私や夫が早死したりやっかいな病気などにならないだろうか、この子が大きくなるころのこの国は大丈夫なのか、などなど。

その時その時にベストの対応をしたり、あらかじめ準備できるものは準備しておくしかないと分かっていても、それでも不安です。

(できるだけ早くトラブルに気づいて対応すれば、その後の人生が変わってくるかもしれないわけで、平時でも観察・気づきに抜け漏れがないか緊張するものですね…。これは出産するまであまり気にもしていなかったことです。)

 

そんなタイミングでまた「一人は可愛そう」とか「少子化はお前ら世代が子作りしないから…」的なことを言われてもね。

うるせぇよバーカ、でございますことよ、おほほ。

(暴言申し訳ございません。お聞き苦しい言葉遣いに反省はしていますが後悔はしていません。)

 

やっぱり

「白菜ならあのスーパーより道の駅のほうが10円安くてきれいで大きかったわよ」みたいな感覚で人の人生に何か言っちゃだめ(妊娠出産に限らず)

です。

 

 

 

子が生まれて見えるのは自分の影。

不安な気持ち、自信のないところ、空っぽなところ、などなど。

子の手をひいて自分の影に入れて育ててしまうか、自分の一歩前の光の中にぐいと押し出すか。

そのへんの差はいわゆる自己肯定感のような気がします。

別に虐待されていたとかいじめられていたとかそういう壮絶な過去はないものの、さして自己肯定感は高くないほうだと思うので、ここからが大変だなぁ、と今更感じる今日この頃。

娘に小さな手でぎゅっと握られるたびに心をキュッと絞められた気分になります。