薬のシートバラバラ現象
久しぶりに薬剤師っぽいことを。
薬のシートバラバラ現象に物申したい。
高齢の方に多いのですが、とにかくご丁寧に一錠ずつはさみで薬のシートをバラバラに切ってくださるんです。
手が不自由で小銭を出すのにも苦労されるような方でも、この薬シートバラバラ作業には涙ぐましい努力をされているようです。
高齢の患者さんの残薬を確認させていただいた際、バラバラになっていない方のほうが少ないぐらいです。(個人の感覚ですが。)
これが厄介なんですよね…。
ピルケースやカレンダーに日にちごとに分けたり、旅行のために数日分だけ持ち歩きたい、という場合は「バラバラに切る」のは悪くないと思うのですが、そうでない場合はかなり危険なんです。(大きな缶や袋にバラバラにした薬を全部一緒くたに入れて保管している、机の上になんとなくバラバラにした薬を置いている、など)
ざっくり4つぐらいの理由があります。
①患者さん本人で管理しにくくなる
バラバラにすると、種類も数も分かりにくくなるんですよね…。
高齢になると複数の薬を服用されている方がかなり多いと思います。
そういう患者さんがシートをバラバラにすると、あら大変!なことになることも。
切っていないシートならば同じ薬を3個とか4個とか飲んでしまう可能性は極めて低いです。
でも、切ってバラバラにしていると、似た包装の薬を取り間違えて同じ薬を何個も飲んでしまったり、逆に全然飲んでいない薬ができてしまったりします。
当然薬の効き目が強く出すぎたり、副作用が出たり、逆に飲めていないから病状が悪くなったり…。
若いときには想像がつかないかもしれないですが、目が悪くなってくると見間違いってけっこうよくあることなんです。
そして、「自分の判断力が落ちてきている」ことはなかなか理解できなかったり、理解したくなかったり…。
②シートごと誤飲する可能性が高まる
えー、そんなことないでしょ!と思うかもしれませんが、シートごと誤飲する事故は年間10件程度は報告されています。
大半は高齢者、そしてシートをバラバラにしているケースが多数。
切ったシートはとがっているので食道などに穴があいたり、手術したり入院したり…とおおごとに。
③シートの破損→保存性の低下
これ、表立って厚生労働省の報告とかには上がってきてはいない(と思う…)んですが、現場にいるとめっちゃあります!
「シートを切ったつもりで中の錠剤まで切れている」とか、「切ったシートの角が別の薬の包装をやぶいている」とか。
んで、これはただのグチなんですが、「残薬整理」ってのをするときに超めんどくさいんですよ。
バラバラになったシートを種類別に分けて、1つずつ包装に損傷がないか確認して…。
湿気るとダメになる薬ってめっちゃ多いですし、そうでなくても不衛生ですし。
光に弱い薬なんかもありますしね。
あと、「薬が外に漏れだすとヤバい」ってのもありますよね。
何にせよ、危ないです。
④紛失しやすくなる→子どもやペットなどが飲み込む可能性が高まる
小さくなることは紛失しやすくなること。
しかも、バラバラだから「なくなっちゃったからつぎのやつ飲んでおけばいいか」という意識になりやすい。
結果、「紛失した薬」はそのまま紛失したたまんま…それを子供やペットが見つけて飲み込むんです。
シートはX線でも見つかりにくいので、子供やペットが「なんか調子が悪そうだな」と思って病院につれていっても結局よくわからず…いつのまにか食道などが傷だらけに…なんてことも。
シートがやぶけてしまっていたら、その薬は子どもやペットには危険な量であったり種類であったり。
そんなこんなで、バラバラにするのは正直オススメしないんです。
「バラバラにしたほうが分かりやすい」ってのは幻想だと思います。
あと、
バラバラにすると錠剤やカプセルを押し出しにくいです!!
これ、ほんまです。
指のひっかかる場所が少なすぎて、押し出しにくいんです。
ちなみに、私がおすすめする薬の管理はこれ。
「1アサ」なんて小さくてかけないよ!という場合は、ペンの色を変えるでもよし、線とかで印をしてもよし、錠剤の入っているところではなくシートの平らな部分に書くでもよし、その辺は臨機応変に。
ハサミでチョキチョキするより安全で楽ちんだと思います。
飲み忘れても「あ、朝の薬飲んだっけ?飲んでないような…でも飲んでたら2錠飲むことになっちゃうな…」なんてこともありません。
動かぬ証拠、朝の薬がシートに残っていますから!!
あとは、薬局で一包化(いっぽうか)してもらうことですね。
多少の手数料はかかります(必要だと思われる方にはきちんと保険が使えます)が、少しずつ認知能力が衰えてきた方やシートが固くて錠剤やカプセルを押し出しにくい方、デイやショートステイなどに薬を持っていく必要がある方、ポケットのあるカレンダーでお薬を管理している方などにはおすすめ。
その薬局ごとに違いますが、たいてい「日付」「用法」「お名前」などを機械で印字してくれます。
希望があれば伝えてみてください。
薬によっては一包化できないものもあります(湿気や光にすごく弱い、とても潰れやすい、一緒に入れると化学変化してしまう薬がある、など)が、多くの薬は一包化できます。
現場では当たり前のことでも、案外知らない人はいるようなのであえて書いてみました。
これを読む人だけではなく、その人の家族などのちょっとしたお助けになれば。
それにしてもペンタブたのしい。
(へたくそすぎて見れたものじゃないけれど。)
出産前後のあれこれ
娘が生まれてはや半年以上たちました。
毎日かわいい、毎日たのしい。
世間一般と比べても、おそらくかなり平和な子育て生活なのでは…?
ありがたや、ありがたや…。
今更ながら出産前後のあれこれを。
備忘録みたいなもんです。
妊娠するまで。
まあまあトシなのでとにかくあれこれ言われました。
「とにかく早く」
「仕事は何とかなるから」
「絶対自分の子は可愛いから」
「コンビニ弁当なんて食べて!」
まぁ、言いますよね。
しかも「良かれと思って」ですよね。
分かるんですよ、その気持ち。
分かりますもん、今。
どう考えても子育ては体力勝負だから「若くない」よりかは「若い」ほうがいいし、どんな仕事でも半年や一年ぐらいなんとかなるし、そもそも私一人消えたところで社会が回らなくなるわけない。
産前あれだけ「可愛く思えないかも…」と心配した子どもは何のこっちゃない、めちゃくちゃ可愛いし。
妊娠中の食事も「オーガニックでナチュラルでバランスとれた食事」と「フライドポテト」ならばそりゃ前者のほうがいいかもしれません。
ですが!
うるせぇんだよコンチクショーーーー!!
でした。はい。
みんなありがとう。
でもストレスになるだけでした。はい。
分かってるし。そんなこと。
何なら真剣に子どもほしい人のほうがよく調べて知っているし。焦っているし。
子どもはあきらめた、あるいは欲しくない人たちはその人たちなりに考えたり悩んだりした結果だし。
「白菜ならあのスーパーより道の駅のほうが10円安くてきれいで大きかったわよ」みたいな感覚で人の人生に何か言わないようにしよう、と深く胸に刻み込むこととなりました。(妊娠出産に限らず。)
妊娠発覚後すぐつわりの洗礼を受けました。
とはいえ、そこまでひどくはなかったほうだと思います。
仕事中は飴をなめたりお茶を飲んだりしながらなんとか気合でごまかせる程度。
(すきっ腹も満腹も辛かったので絶妙な腹具合をキープする必要あり。)
帰宅後は緊張感や集中力が切れて疑似死体でしたが…。
引っ越し前の家のトイレはすごく寒かったので凍えながら吐いていました。
それまで落語なんてめったに聞かなかったのに、つわりでくたばっているときはよく落語を聞いていました。
あと、今日ヤバイ奴に会った - YouTubeばかり見ていました。
インドの屋台料理を作る様子をただひたすらUPしてあるんです。
ウケ狙いなし、どっきりなし。
でも中毒性があります。
おすすめ。
(つわりでオエーとか言いながらカレー作ったりしている動画を見ている妊婦…シュール…。ちなみにつわりがひどくてもカレーは食べられました。)
つわりが終わってしまえばこっちのもの!
わりと元気な妊婦だったと思います。
産休に入ってからは庭仕事したり、ゲストハウスの塗装などをしたり、バタバタ、ばたばた。
妊婦検診は今治の病院に通っていたのですが、病院に行っているのやら、お気に入りのうどん屋さんに行っているのやら…おかげで一回妊娠糖尿病の疑いをかけられました。(うどん食べてすぐ病院に行ってすぐ採血だったんですよね…、75gOGTTではむしろ血糖値は低いほうでした。)
もともと太っていたので「貯金があるから1gたりとも太らなくて大丈夫」と指導され、また、不思議といわゆる「妊婦のドカ食い衝動」もなく、体重はほぼ増えずにそのまま出産へ。
(そのため、公衆浴場の常連メンバーにも10か月近くなるまで妊娠がバレていなかった…。どんだけ太ってたんや…。)
破水が先に来てしまったので全く痛みのないまま入院、入院から半日ほどで「これが陣痛…なのか…?」という痛みが来はじめました。
正直、たいして痛くない…なーんだ、楽勝!と思っていたらあれよあれよという間に全開大、もちろんクソ痛い、ナメてましたごめんなさい。
でも、その時来たお食事の生パイナップル(大好物)は食べましたが。
立ち合い予定の夫とも無事合流してあっという間にスポーンと出産。
あっという間すぎて股が裂けました。(ゆっくり出産ならばそこまで裂けないそう。)
元気な女の子とご対面。
はじめて娘を見た感想は「うわ、髪あるわ」だったとか。
(夫の家系はわりと生まれてすぐから髪が濃いようです。私の家系は禿茶瓶派。)
娘とはここでさよなら、しばし病院スタッフさんたちにお預け。
裂けた股のせいで出血が多く要観察になったため分娩台でそのまま一晩を過ごすことになりました。
分娩台は硬かった…ウトウトしては点滴交換、ウトウトしては身体の痛みで起きて疲労困憊の朝を迎えました。
俎板の上の鯉のような一晩が過ぎて、病室に帰ったのは次の日の午前。
まあとにかく股が痛い。
もう、股。
頭の中は9割以上、股。
わりとすぐに母子同室になり、「はじめてのおかあさん」をするわけです。
おむつ替えたり、おっぱいあげたり、あやしたり…。
可愛いなぁ、うれしいなぁ、という気持ちは、確実に、ある。
でも、頭の中は「股警報」でいっぱい。
出産って大変なんですね、股が。
産後最初の排便(すいません。生き物の理ですので許して。)は大学入試よりも就職してはじめての重要案件のプレゼンよりも緊張しました。
(出産をみてくださった先生も「大丈夫、みんな排便しても股裂けないから!」と言っていたので、おそらくかなりの産婦さんが股警報で苦しんでいるのでしょう。)
入院中、夫や実母が来てくれたので娘を見てもらって寝ていました。
娘、夜は比較的おとなしかったので(今もですが)、私もまあそれなりに眠れて聞いていたほどには辛くもなく。
その後、退院して、出生届だの健康保険のあれこれだのめんどくさいのを片付けて(てか、こういうのこそマイナンバーカードとかで何とかしろよ、と思ったのは私だけではあるまい。本気でマイナンバーカードを運用する気があるならば「〇〇年以降の生まれの者は強制的に出生時にカードを作成し、それであれこれやる」的な感じにしないとダメでしょ。)、その後は穏やかに育児と休息に専念を…と思いきや、まぁ、股警報が股注意報になったあたりからやっぱり動いちゃいますよね。
生活に関してはしばらく実母があれこれ世話を焼いてくれたのは本当に助かりましたが、ゲストハウスのことなどは自分らで決めることなので、ね。
その後、娘は特に大きな病気もなく、これといってひどい夜泣きや癇癪もなく、わりとご機嫌よく育っています。
私の股も産後あれだけ存在を主張していたのに、もう存在を忘れるぐらい謙虚になりました。
私は生まれつき股関節が悪かったので(今は全く問題ないですが)娘も心配しましたが、どうも大丈夫そうで一安心。
それでもいろいろ親というものは不安がつきないもので、今は分からない障害はないだろうか、今後大きな病気や怪我をするのではないだろうか、など、やたらいろいろピリピリしてしまいます。
そのほかも収入は足りるだろうか、大きな自然災害は来ないだろうか、私や夫が早死したりやっかいな病気などにならないだろうか、この子が大きくなるころのこの国は大丈夫なのか、などなど。
その時その時にベストの対応をしたり、あらかじめ準備できるものは準備しておくしかないと分かっていても、それでも不安です。
(できるだけ早くトラブルに気づいて対応すれば、その後の人生が変わってくるかもしれないわけで、平時でも観察・気づきに抜け漏れがないか緊張するものですね…。これは出産するまであまり気にもしていなかったことです。)
そんなタイミングでまた「一人は可愛そう」とか「少子化はお前ら世代が子作りしないから…」的なことを言われてもね。
うるせぇよバーカ、でございますことよ、おほほ。
(暴言申し訳ございません。お聞き苦しい言葉遣いに反省はしていますが後悔はしていません。)
やっぱり
「白菜ならあのスーパーより道の駅のほうが10円安くてきれいで大きかったわよ」みたいな感覚で人の人生に何か言っちゃだめ(妊娠出産に限らず)
です。
子が生まれて見えるのは自分の影。
不安な気持ち、自信のないところ、空っぽなところ、などなど。
子の手をひいて自分の影に入れて育ててしまうか、自分の一歩前の光の中にぐいと押し出すか。
そのへんの差はいわゆる自己肯定感のような気がします。
別に虐待されていたとかいじめられていたとかそういう壮絶な過去はないものの、さして自己肯定感は高くないほうだと思うので、ここからが大変だなぁ、と今更感じる今日この頃。
娘に小さな手でぎゅっと握られるたびに心をキュッと絞められた気分になります。
なぜ大三島へ? その2
だいぶ前、「なぜ大三島へ?」という記事は書いたのですが、今日、人としゃべっていてそういえば…と思ったことがあったので再度改めて書いてみようと思います。
⇓ 前の記事はこちら
まず、島はすべてがコンパクトで便利です。
島という限られたエリアに役所、銀行、郵便局、スーパー、ホームセンターなどがまとまっているので、とても生活しやすいです。
(「一面田んぼの田舎」「山の中の集落」などになると、幹線道路や市街部まで出ないと役所やお店がなくて不便だったりします。)
確かに、選べるほどお店はありませんが、それでも不便するほどに何もないわけでもない(このへんの感覚は個々人によってちがうので、あくまで主観的な感想です。)です。
そして大三島は高速道路で本州、四国につながっているのもいい!
ちょっといつもと違う場所で観光したい、それなりのモノを選んで買いたい、などのときは本州や四国に出る必要はありますが、それも高速道路でビューンなので車さえあれば苦になりません。
実家のある関西圏に帰るのも車で一発、例えば大三島から吹田までならばゆっくり休憩しても4時間程度、道も空いているので正直「吹田から関空まで」とかのほうが感覚的にはよっぽどしんどい…。
(なので、車滅びろ、マジ運転無理!!って人には決して便利な島ではないです、あしからず。都会より道はすいてるし、信号や分岐などあれこれ判断を迫られないので運転レベル自体はそんなに高くなくても大丈夫だとは思いますが。)
そしてそれなりの人口規模なのが良いです。
いっとき住人が2万人を超えていた大三島、今は5~6千人程度の人しか住んでいないわけですが、どうにもならないほど人がいないわけでもなく、かといって人がごみごみいるわけでもなく…まぁ、閑散としているといえばそうですが待ったなしの限界集落というほどでもないのはうれしいところ。
(もちろんこのまま減り続けたら地域の存続が危ぶまれるのは事実です。課題は山積しています。)
適度に人恋しく、人にやさしく生きていけます。
やっぱりね、毎日満員電車にすし詰めにされていると「知らない人にもやさしく」なんて無理です。
少なくとも私はそうでした。
ぶつかられたらくそったれ!とも思っていましたし、足踏まれたらイラッとしていました。
「ああ、なんでこんなにイライラしてるんだろう。私以外の人もみんな忙しいし何か事情があるかもしれないのに何でこんなに怒ってしまうんだろう」って悩んでしまうタイプだったので、本当に人ごみのなかでの生活に向いていなかったんだと思います。
あと、適度に移住者や過去に都会暮らししていた人がいるのは心強いです。
いわゆる「よそ者は村八分」みたいな空気は全然ないです。
私ら世代より前にはそういう空気もあったとも聞きますが、すでに移住者がちょこちょこ住み着いて地域に溶け込んていだり、新しい風を吹かせつつも徐々になじんできているので案外「都会から来たんな、田舎やけどがんばりよ」と昔から住んでいる人たち言ってくれる土壌ができています。
個人個人の「そりが合う、合わない」は当然ありますが、「移住者だからダメ」と決めつけられることがないのは安心です。
また、大学や専門学校が島の中にないせいもあって、島で生まれ育った人たちも人生のうちのいくばくかは都会で生活していることが多いです。
親戚が都会で暮らす人も多いですし。
なので、「都会は便利で田舎は不便」なのも「都会は不便で田舎は便利」なのも理解があります。
住んでいる人たちといろんな話をしていると、昔から住んでいる人でも最近住み始めた人でも「大三島が好き」という人が本当に多いのですが、「大三島しか知らないから大三島が好き」じゃなくて、「他も知っているけれど大三島が好き」なのはすごいことです。
地味なポイントだけれど、とてもいいのが図書館と温浴施設があること。
いわゆる蔵書はもちろん、絵本、紙芝居、漫画、雑誌からDVDやCDまである図書館が近くにあるのは本当に便利です。
基本は「図書館では静かに!」なのは当たり前ですが、島の図書館は子供が少し泣いちゃったり、司書さんに本を尋ねたりぐらいならばピリピリしない空気感も好きです。(都会の図書館って、勉強禁止!会話禁止!咳払いでも禁止禁止禁止!!って感じがあって怖いこと、ありません?!私だけ?!)
落語のCDがたくさんあるのは幸せ。(悪阻で動けないときに落語を聞き始めて以来、ちょっとした個人的ブーム。)
絵本がたくさんあるのは娘も幸せ。
農業関係の本やお茶関係の本がたくさんあるのは夫も幸せ。
お風呂も、あー疲れた!って時には欠かせないです。
引っ越して今の家に移ってからはそれなりに快適なお風呂生活を送っていますが、それでも時々大きなお風呂に入りたい。
なんなら毎日入りたい。
(娘が大きくなってきたら定期券買おう…。)
しまなみ海道のなかで、図書館も、大きな温浴施設もある島は大三島だけ、です。
⇓ ちなみに過去のお風呂生活に関してはこちら
そんなこんなで、なんだかちょうどいい、心地いい島なんです。大三島って。
自然があって、独特の文化があって、なんか田舎ってステキ!なだけでは移住しなかったと思います。
わりとその辺、夫も私も打算的で現実的です。
病院が少ない、専門病院は陸地に行かないとない、高速道路が高価い、など困る点はありますが、それらと生活の快適さを天秤にかけた上で移住を決めたのは事実です。
大三島に移住して4年、子供も生まれましたが今のところ、後悔もないですし、メッチャ不便!マジ不快!と主張したいほどの事は全くありません。
ま、あれこれあれこれ考えて、結局「ノリと勢いと何かの拍子」で移住したのは真実ですけれどね!!
人生って、そんなもんじゃないですか?
あけましておめでとうございます
↑ 娘に「離乳食でお正月」を。
あけましておめでとうございます。
皆様にとって今年が佳き年でありますように。
正直「お正月感」はそんなにありません。
気持ちの良い天気の、冬の一日、といった感じ。
掃除をして、年賀状を書いて、しめ縄や鏡餅を飾って、ほんの少しだけお正月料理の準備をして、初詣に行きたいな、と考えているからほんのりと「お正月だな」とは思いますが、「うおぉぉ!年が変わるぞ!変わったぞ!」みたいな感じはありません。
歳をとって「慣れてしまった」のか、それとも世間のお正月感は「メディアに作られた幻想」なのか…。(我が家にテレビはありません。)
どちらも正解のような気がします。
それはそうと、紅白でAI美空ひばりの歌が流れたそうですね。
見ていないので何とも言いようがありませんが、すごく気持ち悪いのは私だけでしょうか。
やだなぁ、死んだ後に引っ張り出されてあることないこと喋らされたり、歌わされたり。
文章で書きあらわされたり、俳優さんが演じたり、写真や映像、音源などから「再現」されるのは気持ち悪くない。
きっとそれは「故人であることはしっかり理解できるから」だと思います。
AIでの再現は「故人を生き返らせる」感覚が強いから気持ち悪いです。
「故人であることを理解してAI〇〇さんを見たらいいじゃない」と言っても、「AI知らない人」が本当に生きているのか、亡くなっているのかなんて…分からなくないですか??
文章だけのハガキでも音声だけの電話でも詐欺が横行し、映像だけの写真でもインチキやせ薬は飛ぶように売れ、映像だけのYouTubeでも影響力は計り知れないのに…。
未来は確実に来ている。けれども、このままでいいのか。
漫画や映画の世界の「人造人間」とか「AI世界侵略」とかがリアルにチラつきます。
それぞれの技術を開発している人たちは「便利だから」「有用だから」と考えているのはよくわかります。
iPS細胞の山中教授がサイボーグを作る事は絶対ないでしょうし、AI美空ひばりプロジェクトに関わった人が「ワタシワタシ美空ひばり詐欺」をしようと思っているとは全く思っていません。(なんじゃそりゃ)
ただ、悪用する人間は、やっぱり、いる。
悪用するつもりがなくても。
ダイナマイトのように。
核技術のように。
なんだか、そら恐ろしい話です。
正月なのにぱぁんと明るいコトでなくてすみません。
明るくないついでにもう一つ話題を。
最近、とにかく面倒だと思っていることは
「前例がないから…」
というフレーズですべてがストップすることです。
悪いことも「前例がないから対応できない。今から対応の仕方を考える。」
良いことも「前例がないから評価できない。今から本当に評価していいのか考える。」
こんなんだから良いほうにはなかなか変わらないし、悪く変わっちゃったことはなし崩しにOKになっちゃうんだよ!!
もう!!
(あれこれ私怨もあるため熱くなりがち。)
少なくとも「我が人生」や「家族や稼業」に関してはスピーディーに判断して、どんどん行動していきたいです。
あの時野放しにしたからエライことになった…あの時イイ!とすぐに動かなかったから取り逃がした…というのは嫌だし、仮に判断が間違っていたとしても「あの時、自分が判断した」ならばその時点で自分の責任で対処したいものです。
つい半日前ほど前に「2020年の目標は2020年になったら考える」と言いました。
「我が人生」や「家族や稼業」に関してはスピーディーに判断して、どんどん行動していく。
これですね。
これですよ。
文章を書くと、見つかりますね。
自分が思っていること、考えていること。
案外頭の中だけではどろりどろりと溶け合っていたりして自分でも何が何だかよくわかっていなかったりします。
ごちゃごちゃ書いてみてよかった。
やっぱりブログは続けよう。
何はともあれ、今年もよろしくお願いいたします。
10年分生きた気分の2019年
大晦日ですね。
私にとって2019年はあっという間で、そして、ものすごく濃い一年でした。
10年分生きた気分です。
…ちょっと言い過ぎ?!いや、それぐらい言ってもいい気がします。
それぐらい盛沢山な1年でした。
1月
ゲストハウス建築の打ち合わせ。昨年末に解体して、再度計画を練り直し。
なんとなく完成図が見えてきたような…まだ見えないような…。
2月
引っ越しに向けて宮浦(みやうら)の家の手入れ。業者さんにあれこれ工事してもらう。キッチンなどはDIYで改修。あとは猛然と掃除。
3月
荷造り、引っ越し。
住み慣れた台(うてな)から新天地、宮浦へ。
まあまあ腹が重い。それも当たり前、この時妊娠8か月。
4月
とうとうゲストハウス基礎工事が始まる。
引っ越し後の手続き、片付け、その他ごちゃごちゃ。
腹が重い。胃がむかむか。産休に突入。
5月
産休、体はとてつもなく重いが元気だし、暇だし…ということで猛然と庭や植物の手入れ。(産後はできないだろうからゲストハウスの周りだけでもやっておきたかった。)
ゲストハウスの塗装などお手伝い。上棟式。
そんなこんなしているうちに娘、誕生!!
実母が来てくれてあれこれ世話をしてくれたのは本当に助かった。
6月
産後の経過はまずまず、噂には聞いていたがとにかく股や尻が痛い。
月のはじめのうちの脳みその中は「股と尻」:「娘」:「その他」=6:3:1ぐらい。
月の終わりごろには「娘」:「その他」=9:1ぐらいになったけれど、人生であんなに股や尻の心配をする時間はこれまでもこれからもないのでは。
ゲストハウス建築はモリモリ進んで、見ているのがとても楽しい。
7月
お宮参り。義父母が来てくれた。いい写真が撮れて嬉しかったなぁ。
ゲストハウスの看板やホームページを作ったり、家具等を考えたり入手したり、こまごましたことが多くて大変。
8月
ゲストハウス建築はもう一息!
出産あれこれでぶっとんでしまった家の片付けをしたり、ゲストハウスの開業準備をしたり、こまごまと忙しい。
ゲストハウスの塗料、看板の塗料、娘の保湿剤、お菓子のクリームなどとにかく「塗る」作業が多かったように思う。
9月
ゲストハウス建築ほぼ終了!消防検査合格!!
エアコン等電化製品を取り付けたり、庭や駐車場を整備したり、ショップカードを作ったり、開業準備はいつか本当に終わるのだろうか…と思った。
秋祭り。新地(しんち)で参加するのははじめて。台(うてな)とはまた違った祭り文化があって、おもしろい。
咳が止まらない。あまりにもひどいので受診したところ、人生初の喘息認定。
主に近隣の方向けのゲストハウス内覧会開催。
10月
娘の可愛さが変化。
「ただ小さくてふわふわした生き物」として可愛かったのが、「ひとりの人間」として愛しく感じるように。
細かい開業準備に追われる。
そしてここにきて保健所の許可関係で行き違いがあり時間がかかってしまう。
地味にメンタル削られる系のやりとりが続く。
メンタル以上に削られたのはお金でしょう、「機会損失」にgkbrですよ。
11月
娘の可愛さ爆発。夫も私も立派な親バカに。
保健所関係すべて終了!長かった!長かった!!長かった!!!
晴れて「大三島素泊り茶房トマリギ」が開業。
すぐに予約が入るはずもなく、開業後も開業準備のようなことをチビチビこなしながら生活。
12月
ゲストハウスにお客様や予約がポツポツ入り始め、じわじわと「開業してよかった」と喜びを噛みしめる。
繁忙期のオペレーションや海外のお客様対応、トラブル対応、会計処理、今後の営業展開などに不安を抱えつつも、とにかく幸せ。
ゲストハウスの共有スペースでの会話の化学反応は本当に面白い!!
娘は元気にすくすく成長。重たい。(もっと重たくなるのかと思うとぞっとする。)
こんなところでしょうか。
引っ越し→ゲストハウス建築しつつ出産→開業準備→開業(イマココ)といった感じですね。
濃かった…盛沢山だった…。
娘は可愛いし、ゲストハウスも可愛いし、ちょっとずつ整理している家も可愛いし、謎の「KAWAII文化」が我が家に花開いています。
こんな盛沢山な一年を無事に過ごせたのはいろんな人のおかげです。
出産関係では職場、病院、家族親戚にお世話になりました。ありがとうございます。
ゲストハウス関係では建築士さんや大工さん、左官さん、設備屋さんや電気屋さん、壁屋さん、建材屋さん、畳屋さん、基礎工事屋さん…その他いろいろ、ものすごい数の人にお世話になりました。ありがとうございます。
(あれこれ注文したり相談したりしつつ、現場にまじってゲストハウスを作れたのは本当に楽しかったです。人生イチの高い買い物でしたが、たくさんの専門家が力を合わせて一つのものを作っていく姿は壮観でしたし、価格の理由も納得です。現場にいすぎる施主ですいませんでした。すごい勉強と経験ができました。)
子どもが生まれたり、商売を始めたことで島の人たちとより関係が深くなりました。あれこれ教えていただきありがとうございます。
いろんな楽しみが枝分かれした1年でした。
これからどの枝にどんな花が咲いていくのか、ただひたすら楽しみです。
しっかり楽しみの木に水やりして、手入れしていけたらと思います。
2020年の目標は2020年になったら考えます。
とりあえず、2019年の総括はこんなもので。
何か新しいことをしていたい
くたばっていません、こんばんは。
娘は元気にすくすく育ち、もう6か月です。
早すぎる。早すぎる。
なんというか、可愛すぎる。
娘の周りがぼうっと輝いて見えるほど可愛いです。
ミルクのような甘い匂いと大人顔負けのかぐわしい屁を放ちつつ、毎日盛大に髪の毛を爆発させ、宇宙語をさかんに喋り、でんぷん糊のような離乳食をあちこち擦り付け、おもちゃを投げたりかじったりする不思議な生き物…こんなに可愛く思うとは…結構「意外」です。
正直、子どもというのはそこまで好きではありません。
いや、好きといえば好きなんだけれど…走り回る子どものあの圧倒的エネルギー、あどけない笑顔で「おばちゃんゴリラみたいだね」と言い放つ無敵さ(実話、もちろんゴリラ=ワタクシですことよ。)、ところかまわず寝落ちる自由さ…あのへんの「大人が失ってしまうもの」が眩しすぎて正直辛い。
あと、親御さんや周りの目が怖いというか…。
走り回る子どもにぶつかられたら「大丈夫?怪我していない?ここは走るところではないから周りに注意をして歩こうね」と言っていいのか?
危ないことをしようとしている子どもに「危ない!!」と言っていいのか。
いまどき、いろいろややこしいので「下手に他人様の子どもにかかわると犯罪者になりかねない」じゃないですか…。
なのに子どもはおかまいなしに大人にかかわってくるわけですよ…痴漢冤罪的な怖さ、ありません??
まあ、そんなことで、子供は好きだけど辛い、だったわけですよ。
それがどうしたことでしょう、娘は可愛い。
産前、「我が子が可愛いと思えるだろうか…」とやきもきしたのはなんだったんでしょうか。
一応、ここで断っておかねばならぬのは、娘は「比較的手のかからない子」であること。
そして「比較的私も元気」で「夫がほぼ24時間すぐそばにいる」こと。
それから「島の環境が楽ちん」であること。
娘は新生児のころからギャンギャン泣き続けることは少なかったし、よく飲みよく食べよく寝て機嫌よし、いまのところ病気は軽い咳と鼻水程度まで。
私も産後しつこい咳が続き、人生初の「喘息認定」をされた程度でその他は特に大きなトラブルなし。(とはいえ、産後は身体が弱っているんだな、と実感。)
そして夫はすぐそばにいる…新生児のときから二人で育児を開始できたため、子育てに関してすれ違いがない!これ、すごいことでしょ!?!?
島では泣き声を心配する必要はあまりないし、気を遣う公共交通機関での移動がないのは本当に楽!!(病院が遠いのは難点ですが、激混み、激待ち、というのは未経験です。)
病児のケアや、良く泣く寝ない子、飲まない食べない子、敏感な子などを育てるのは本当に大変だ、ということはよく聞きますし、自分の体調やメンタルが狂った状態でワンオペ、あるいは「手伝ってやるよ」的協力者しか得られない育児は本当に辛いだろうということも容易に想像がつきます。
ゲストハウスに出費ばかり続いて、収入がないのは非常に辛い、ヒジョーに!辛い!ですが、楽しい子育てができているのはひとえに夫をはじめ理解ある人たちに囲まれているから、環境が恵まれているから、だと思います。
結論、ウチの子は可愛い、ばんざーい!
んで、ですよ。
ちゃんと宣伝しろ、って話ですが、ゲストハウス、開業しました。
(一応SNSの宣伝ははじめています。)
11/23にこっそりオープンしています。
最後までばたばたして、しかも許認可関係で時間がかかって予定よりずいぶん遅れましたが、何とかオープンできました。
ああ、うれしい。
本当に、うれしい。
無い知識を総動員してHPも作りました。
プロの方たちからすると「素人臭」がムンムンと漂い息苦しいかもしれませんが、負けず見ていただければと思います。
ありがたいことに初のお客様にもすでにお越しいただき、来年の春などにいくつか予約を頂いている状況です。
エイヤ!で動いていたここまでとは対照的に、ここからはマメに、マジメに、コツコツと、です。(移住、転職、開業、なんて正直エイヤ!じゃないとできないです…。)
どうぞ、トマリギをよろしくお願い申し上げます。
ゲストハウスを開業して、いよいよ思うのは「何か新しいことをしていたい!」ということ。
なにかサービスや運営方法を工夫するのもいいし、庭をステキにするのもいい、ものづくりをして売るのもいいし、なにか特技が増えるのもいい。
とにかく「ここで満足」しちゃうとつまらない。
毎日大冒険と大発見を繰り返している娘を先生に、とにかく新しいことを少しずつでもしていこうと思います。
(基本は意識低い系なので、あらゆるオポチュニティからアグリーにインスピレーションを得つつムーブメントを巻き起こして何かにコミットする!とかインフルエンサーになってやる!みたいな気持ちはありませんが。ええ、すいませんね、意識低い系で。)
ゲストハウス近況《更地⇒棟上げ編》とゲストハウスって何だ?という問い
さてゲストハウスの近況ですが…
めっちゃ進んでいます!
どれぐらい進んでいるかというと…
before
After
すごい!!早い!!
改修予定物件の壁をはがして調べたところシロアリなどにやられてすっかりボロボロになっているのが判明したのが昨年の秋。
ひとまず解体を、ということで更地にしてもらったのが昨年の冬。
解体と同時に予定を改修から新築へと路線変更し、建築士さんたちに希望を伝えて新規で設計をしてもらい、こんな感じで行こう!となったのが今年の春。
いったん決まってしまえば工事は早い!
4月に基礎工事、大工工事がそこから始まって、5月中旬には棟上げです。
職人さんたちの働きぶりには脱帽するばかりです。
ここからは建物内部の構造を作ってもらったり、屋根を張ってもらったり、壁を塗ってもらうことになります。
ばっちり建物が育ってきているこのタイミングで今更なんやねん、という感もありますが、ゲストハウスって何だ?と改めて考えてみたいと思います。
いや、ほんま、建物の細かい造作をどうする?備品をどうする?資金繰りをどうする?…などと目先のことをやっているとだんだん「ゲストハウスって何だったっけ?」ってなるんですよ…。
このへんで一度頭の整理整頓!
いくつかの視点からゲストハウスというものを見てみると…
視点1)法律の定義
日本の旅館業法における簡易宿所(「簡易宿所営業」すなわち「宿泊する場所を多数人で共用する構造及び設備を主とする施設を設け、宿泊料を受けて、人を宿泊させる営業で、下宿営業以外のもの」(旅館業法2条4項)を行う施設)
そもそも営利目的であることは大前提です。
ウチもゲストハウス業で家族を養っていかなくてはなりません。
なので、きちんと法律を守ってしかるべき設備を整え、対価を得ることができるサービスを提供する必要があります。
ゲストハウスにおいて特徴的なのはドミトリーですが、これは法律の定義上、ある意味「なくしたくてもなくせない構造」とも言えます。
すべて個室にしてしまうと法律上のカテゴリが旅館・ホテルになってしまうため、施設基準もぐんと厳しくなり、一般人の資本で新規に作る事は難しいですし、通常複数の従業員を雇う必要がでてくるので安価なサービス提供も難しいと考えられます。
(平成30年に政令が変更になり、旅館・ホテルの最低客室数の基準が廃止されたので、今後違った形の旅館・ホテルが出てくるかもしれませんが…。)
逆に言えばこのドミトリーという構造はホテルや旅館にはないもの…というわけで、いかにこのドミトリーという構造を特徴づけるかが肝になるとも言えます。
視点2)旅行の変化
人数:
(以前)職場や所属団体の人、あるいは家族と。比較的大人数。
⇒(現在)パートナーや家族、気の知れた友人と。比較的少人数。
目的:
(以前)有名観光地散策、温泉、宴会、豪勢な会食、カラオケ、団体写真撮影、名産品やお土産購入などに限られていた
⇒(現在)ありとあらゆることに多様化(なんなら「気分のいいところで仕事をするため」など、今まで考えられなかったような目的で旅行をする人も大勢います。)
比較的少人数にしか対応できないものの、「宿泊する」という機能を最低限果たし、その他は自由にプランニングできるゲストハウス形態はある意味「時代のながれ」をよく反映しているものかもしれません。
視点3)ゲストハウスの得意・不得意
得意:
ホテル・旅館に比べて安価なサービス提供
自由なプランニングに対応
1:1のコミュニケーション
不得意:
食事提供
物理的にリッチなサービス(館内温泉、建物、調度品、送迎など)
大人数の同時対応
ほかにもいろいろありますが、得意・不得意をよく理解した上でそれをどのように生かすか、対策していくかを考えていく必要があります。
視点4)今後の外部環境
追い風:
少人数・多目的旅行が主流であることが続きそう
インバウンド増加の可能性
地域の活性化が感じられる(大三島・しまなみエリアにおいて)
逆風:
国内旅行人口減少
デフレ、さらなる低価格競争の激化の可能性
宿泊業界での淘汰激化の可能性
ざっくりと書き出してこんなもんでしょうか。
細かく書けばすごいボリュームになると思います。
…おおっ!ちょっとゲストハウスというものが見えてきたような気がします。
ここまではよくあるSWOT分析を「ゲストハウス」という大枠でやったようなものですね。
こんなふわっとしたメモ書きだけでも目の前の課題であったり、アピールポイントであったり、協力が必要な人や業界などが見えてくるものです。
これにさらにより細かい地域的な特色や、私と夫の強み弱み、希望やこだわりなどを考慮していくと「満たすべきものを満たしており」「しかも差別化できて」「多くのお客さんに満足してもらえそうな」「私たちもやっていて楽しい」ゲストハウスができそうになってきました。(ここからの分析はヒ・ミ・ツ♡)
個人事業とはいえ、生活がかかっているので夫とあーだこーだ言いながら事業計画を書きましたが、誰を幸せにしたいか、何をもって幸せにできるか、といったおおもとの部分が見えなくなると
「らくしておかねほしい」
みたいな、実に短絡的で魅力のないものになりがちです。
事業計画を作るにあたって収支の見通しはもちろん重要なのですが、それだけでは生業にはなりそうもありません。
考えることはしっかり考えて、あとは手足を動かして、がんばれがんばれ私と夫!!
どんなゲストハウスができるか、お楽しみに。