大三島に移住した某薬剤師の脳みその中

生き物らしく生きたい!と思い大三島へ。毎日が冒険。

一生懸命の恥ずかしさ

昔から一生懸命になることに恥ずかしさを感じています。

そして、そんなくだらない恥ずかしさを感じる自分にさらに恥ずかしさを感じたり。

 

高校野球なんかの、あの、もう、がむしゃらで一生懸命な感じ…昔はとても苦手でした。

お尻のあたりがモゾモゾするような恥ずかしさを感じるのです。

 

ベンチャー企業の新進気鋭の若社長とか、夢を熱く語っちゃう系の意識高い人も苦手…。

 

自分の事でもそう。

例えば、わりと長いこと音楽をしてきているのに、いまだにライブは恥ずかしいです。

うわ、あの人、たいして上手くもないのにアツくなってるわ…カッコわる…と思われるのがとにかく恥ずかしくて、恥ずかしくて、いつも消えたくなります。

やたら練習してたのに全然下手くそやん、と思われるのもとにかく恥ずかしい…。

 

かと言って、準備や練習の手を抜いて「いや〜、実はあんまり事前のことができてなくてね…」とかモゴモゴ言うのも恥ずかしいものです。

うまくいかなかった恥ずかしさを何とか誤魔化すためによくやってしまう言い訳なんですけどね…。

 

理想はコソコソ勉強して100点、「ぜんぜん勉強してないのよ〜」なんて言いつつサクサク問題解いて退出可能時間になった途端にサヨナラ!って出て行く感じです。

 

 

自意識過剰と言えばそれまで。

 

 

先日、島の知人 (料理人) が美味しいご馳走を作って食べさせてくれました。

本当に素晴らしかった!

献立、素材、店の設えなど、隅々まで気を配らせて、目指す「何か」を掴もうと必死な感じを受けました。

味や香りを楽しんだのは勿論なこと、それ以上に気迫や熱意を楽しんだ部分もあります。

その情熱にやっぱりお尻のあたりがモゾモゾするような恥ずかしさは感じましたが、あ、本気って、凄い、とも素直に腑に落ちた部分もありました。

むしろ、何かと中途半端なの、カッコ悪いな…とも思ったり。

 

 

茶を育てたい!ゲストハウスをしたい!という我が家の夢も、調べれば調べるほど、動けば動くほど困難ばかりで、最近ホントにしんどい (身体は元気なのに) のですが、なりふり構わずやるしかないと尻を捲った感がでてきました。

 

まだまだ始まったばかりで中途半端とか、一生懸命とか、そんなことを言える段階ではないのですが、ほんのちょっと、「一生懸命を恥ずかしく感じる病」が改善してきた気配がする分、今までの人生より「恥の少ない人生」になってきた気がします。

 

 

困難にぶつかって大人になる、ってのを今更やり直しているんでしょうね。

やれやれ…!