大三島に移住した某薬剤師の脳みその中

生き物らしく生きたい!と思い大三島へ。毎日が冒険。

沸々とした感情

たまーに湧き上がる沸々とした感情がどういったものなのか、いまだによく分かっていないのでとても困る。

 

 

そもそも、前提として、私は自分の周辺1メートル以内ぐらいの事にしか興味がないし、それより外のことが気になる時は厚い壁に潜望鏡の様なものを突き立てて見ている感覚がある。

 

そのため、基本的には感情はそこまで揺れ動かないことが多い。

 

潜望鏡で見る世界は自分で選べるので、あまりにも心を揺り動かされることからは、もはや生存本能的な感じで目を逸らしたり、潜望鏡を壁から引き抜いてしまうから、というのが一つの理由。

潜望鏡で見る世界は、音や、匂いや、触感など、色々なものが欠けていて、不完全なものだから伝わりにくい、というのがもう一つの理由。

 

潜望鏡から覗いた世界に安直な感想を抱き、一丁前に意見したりすることはあるけれど、ダイナミックな心の動きというものは、正直、ない。

 

 

もちろん、壁の中の事件、世界から見たちっぽけなアレコレには涙も流すし大笑いもする。

けれど、いかんせん範囲が狭いので、そこまで事件の発生頻度は多くない。

壁の中に自ら入れるものは厳選に厳選を重ね、快適なものが多いし、意図せず放り込まれる不快なものはなるべく排除するなり埋めるなりしようとするので、その時はそちらの作業に気が取られて、心ここに在らず、になる。

よって、感情の動きはあまりない気がする。

 

 

前述の沸々とした感情は、何やら大変強いもので、壁の中の小さな私を大きく揺さぶり、熱くする。

壁の中はほどほどに快適で、壁の外を見るべくやたらと潜望鏡を立てている状況でもなく、これといって大きな事件もないのに。

 

 

可能性の一つにあるのは、壁の中の排泄物が発酵した、というもの。

いろんな感情や感想の澱や、それこそ生きていれば出てくるフケのような老廃物、そんなものが狭い壁の中で腐って、熱を持って、心が炙られているようになっているのか、なんて思ったり。

 

 

でも、やっぱり何なのかよく分からない。

頑張りたいような、怒りたい様な、壊したい様な、そんな感覚。

 

 

 

不惑はまだ遠い。