大三島に移住した某薬剤師の脳みその中

生き物らしく生きたい!と思い大三島へ。毎日が冒険。

移住して嫌なこと、困ったこと

ずっと書くか悩んでたけれど、やっぱり必要なことかと思うので書いてみようかと。

移住を目的として情報を得るためにブログを読んでくれている人がそれなりにいるようなのですよ、こんなテキトーなブログを。(あんまり参考にならなくてすいません。読んで頂きありがとうございます。)

もしミスマッチで大三島を嫌いになる人が増えてしまったらそれは悲しいし、いまどき、それがSNSなんかに投稿されると、あっという間に世の中すべてアンチ大三島!みたいになってしまうこともあるので、そのへんは包み隠さず伝えて、それでもやっぱり大好きだ!と言ってくれる人に移住して欲しいです。

私にとっては本当に良いところなので。

 

 

 

さて、アレがない、コレがない、に関してはもともと分かっていたことだし、その代わりにある物もあるので不満はありません。

不便はありますよ。もちろん。

大きな病院が遠い、安い量販店がない、チェーン店がコンビニぐらいしかない、外食文化があまりない、したがって飲食店が少ない、文化活動が貧困…など。

でも、山も海もあって、空が綺麗で、土いじりし放題、子が泣いても犬が吠えてもあまり気にしないで良い環境があって、満員電車や交通渋滞のイライラが無い。

ホント、不便はあっても不満はない!

(移住してこのへんの不満を漏らす人がいたとしたら、リサーチ不足としか言いようがありません。)

 

 

 

あと、人間関係に関しても、幸い「めちゃくちゃ偏屈で攻撃的な人」には(たまたまかもしれないけれど)会ったことがないので、困っていません。

田舎はプライベートが無いとか、遠慮がないとか言うけれど、それもあんまり気にならないほうなので問題なし。

人間が生きてりゃなんかの痕跡がのこるし、何事も遠慮があれば幸せかと言えばそうでもないので、個人的には「隣に誰が住んでるのかも分からない」状態よりは「お互い生活リズム把握し合ってるけれどいつも挨拶して時には野菜など交換する」状態の方が気楽です。

私の住んでいるエリアでは表立って疎外されることもないですし、「明らかに住んでいる年数も違うし、家族親戚みんな近所に住んでいる人たちとはまあそりゃ状況が違うよな」的な感覚になることはありますが、それって別に困ることでもないんですよね。

実際急にやってきた異邦人なわけですし、むしろ地域の方たちには温かく迎えてもらって、感謝しかないです。

この辺に関しては個々人の感覚ですし、住むエリアやその人の人となりによっても異なるので一概には言えない難しいところですね。

移住前にはぜひ住みたいエリアに住んでいる人と実際にしゃべってみることをお勧めします。

 

 

 

とまあ、ここまでは話が穏やかに進んできたのですが、このへんからちょっと毒づきます。

これはあくまで一意見だし、我が家はわりと特殊な状況で走っているので必ずしもこういった不満が出やすい、というわけでもないですので、そのへん理解できない人はここで読むのをやめてください。

炎上させたい訳ではないので。

 

 

 

さて、困ることといえばですよ。

ズバリ!家族観です。(花輪くんの声で)

 

島の人たちは基本的に家族が近くにいます。

昔から住んでいる人たちは、遠かれ近かれ何らかの親戚・血縁関係だったりするぐらい。

 

島の人たちには子育てに祖父母が関与してくれたり、急な用事があってもピンチヒッターの家族親戚がいたりします。

ただただ羨ましい。

(祖父母に不満がある訳ではないし、こういう人生を選んだのでそこに後悔はないです。)

 

で、ですよ。

 

皆さん、地域行事とか、何かの会合とか、消防とか、組合とか、その他いろいろされていても、「何とかなる」と思っていることが多いようなんですよね。

 

それを核家族の移住者に求められても困る!

…というのが正直な気持ち。

 

 

地域の維持・発展のためだし、行事も関わりたい。

その気持ちはあるけれど、ウチはとにかく人が出せないんですよ。

 

私が休めるのはせいぜい有給休暇の数だけだし、それもホイホイいつでも休める訳ではない。

夫も原則1人でゲストハウスを回しているので、お客さんが入っていれば身動きが取れない。

もし何かの用事を優先させる場合はピンチヒッターがいないのでゲストハウスを閉める他ない訳ですが、それも生活がかかっているのでいつでもオッケーには出来ない。

 

わりと島の人たちは気楽に「誰かに子供預けたらええんよ」とか、「仕事は誰かに任せてきたらええのに」とか、「嫁さん休めばええやん」とか言うんですが、預ける人がいない、仕事を任せられる人がいない、嫁さんの仕事で家計を回してるのも事実なのでそう簡単に休めない…というわけで、とにかくどうにもならない!!

 

どうもその感覚が擦り合わないんです。

おそらく、もう、彼らは何世代もそういう生活をしてきているはずなので、当たり前と言えば当たり前なんですが。

 

集まりごとも妙に時間が長いことが多くて、対面が原則。

それはすごく有意義な事も多いし、対面じゃないと伝わらないことが沢山あるのは島に来てより強く感じたので不服はないんですが、その為に犠牲にしてきているものが「島の人」と「移住者」では違うように思います。

かたや、普段から近くで暮らす祖父母などに子供を預けて出席。

かたや、子供を見るために夫/妻は有給休暇を使って、妻/夫本人も仕事を休んで、出席。

 

子供もつれてきたらええやん、って場合もあるんですが、酒たばこ有りの場にあまり子供は連れて行きたくないというのが正直な気持ちです。

このへんはそうでもない人も多いんでしょうかね。

私は気管支が弱いのでわりと気になっちゃうんですが。

 

 

あと、子供がいる前提で話をしていますが、やっぱり「子供はいて当たり前」「1人は可哀想」という見方が強いです。

うるさいわい。

まあ、これは都会でも田舎でも一緒か。親戚とかにうるさい人がいたらご愁傷さま…ってやつですよね。

時代的にだんだんそういう「子供つくれおじさん・おばさん」は減少傾向なので、このへんはそのうち気にならなくなるのかもしれません。

 

 

島に移住してから、つくづく「核家族」って破綻したシステムだなぁと思う様になりました。

人間って太古の昔から数家族ぐらいが協力して生活していたはずですし、それで回るように生活してきたはずなんですよ。

父・母・子供だけってのは明らかにおかしい。

実際、子供を産むときは今も多くのひとが実家の力を借りたりするじゃないですか。

諸事情あってそれも頼れない場合、きびしい生活を送らねばならないのは想像に難くありません。

まず無理なんですよね、核家族って。

 

 

高度経済成長期に核家族化が進んだとはいえ、あの時代は人口ボーナス期で、上京してきた家族のいない若者をゴリゴリ使い捨てすることで一部の核家族が成り立っていたように思います。

結婚した妻は夫の収入で生活できていたわけですし。

妻は妻で近所づきあいは今よりきちんとできていたと思うんですよ。

ありとあらゆるところで労働力不足が叫ばれ、「二人で馬車馬のように働いても生活キビシイ」という今の状況とは大きく異なります。

親にせよ親戚にせよ近所づきあいにせよめんどくさい人にはめんどくさいのは事実ですが、いいかげん目を覚まして「核家族なんて幻想だ」ってならない限り少子高齢化は止まらない気もします。

島暮らしするまでは核家族気楽でいいよなー、と思っていましたが、子ができて、親も少しずつ年老いて、近所づきあいや当たり前の人としての付き合いを改めてし始めて、そんなことを思ったりしています。

 

 

何言いたかったんだか。

家族観がネイティブ島の人たちと合わない、ってやつだ、そうそう。

でも、正直ネイティブ島の人たちの感覚のほうが普通な気がしてきています。

 

家族とともに移住する場合、そのへん、多少考えておくといいかもしれません。

悲観的になる必要はないと思いますけれどね。

100パーセント自営業ならばあまり考えなくても何とかなる可能性もあります。

(人を雇うもよし、仕事量を調整するのもよし、同じ仕事を家族でしているならば分担もできますしね。ウチは1人サラリーマン、1人自営業だからややこしいだけなのかもしれません。)