大三島に移住した某薬剤師の脳みその中

生き物らしく生きたい!と思い大三島へ。毎日が冒険。

自分の御機嫌取りの話

自分の御機嫌をとれるようになりたい。

 

 

子供は自分の御機嫌とりができません。

楽しいお出かけでもキレ散らかしたり、厳粛な場でも大笑いしたりする。

これは主に高度機能を担う大脳が未発達で、経験や知識の集積が不十分だから、と考えられます。

 

高齢者も同様。

特別扱いされないと怒り、他人の目も顧みず謎のマウントを平気でとる。

やたら機嫌がよくなる人というのは比較的まれで(たいていそういう人は昔からあまり細かいことにうるさくない人だったり、他人にあまり興味がない人だったりする)、だいたい僻みっぽくなったり、怒りやすくなる。

これは大脳辺縁系の「不安」「怒り」といったネガティブな感情が学習により比較的豊富に存在して衰えない割には大脳皮質などのそれを理性でコントロールする部位が衰えてくるから、と考えられます。

身体の不自由や寿命への不安・怒りは消せない、というか、基本的には増大するほかないので、ある意味仕方ないととらえる他ありません。

 

 

人間も生き物なので、基本的には「嬉しいこと」よりは「嫌なこと」をしっかり覚えていると思われます。

嬉しいことを覚えるのは確かに大事ですが、基本的には「嫌じゃなかったこと」と「嫌だったこと」を覚えることにかなりのリソースを割いていると考えるほうが自然でしょう。

すごく美味しくて嬉しい食材を覚えることより、お腹を壊さない食材、お腹を壊したり最悪死に至る食材を覚えることのほうが生きていく上では重要。

風景が良かったり木漏れ日が気持ち良い道を覚えることより、怪我をしなかった道や外敵があまり出てこない道、あるいは過去に怪我をしかけた道や外敵と出くわした道を覚えることのほうが重要。

 

 

人間の特殊性を語るうえでトピックとなることはいくつもあるけれど、個人的には「人間は不快から快楽を自分で作る」というのが非常に好きです。

生き物だって快楽は求めるのですが、上記のように、基本的には重要度的に「不快>快楽」です。

温泉に入るサルも外敵が見えたらパッと飛びのくし、くつろいでいた犬も注射されるとわかった途端に怯えたり怒ったり逃げたりします。

不快なものは不快、非常に素直な反応です。

 

人間は不快を大脳皮質の力で快楽に捉えなおせるのがかなり異常です。

「健康のためだから注射は痛いけれどやってよかった」「仕事はつらいけれどお金がもらえるからOK」とか、当たり前のことだけれど生き物的には異常。

基本通常の生物ならば「不快」ととらえて忌避することを、脳の力で「快楽」ととらえなおしてやっちゃうところがだいぶトチ狂ってます。

 

 

ということで、私も人間なので、日々不快を脳みそイリュージョンで快楽と変換してなんとなく幸せっぽく生きているわけですが、やっぱり辛いことが多いんですよ。

 

あったかくなってきたのに寒い日があると辛い。

花粉が飛びまくると辛い。

仕事が忙しいと余裕がなくて辛い。

遊ぶ時間がなくて辛い。

その他いろいろ。

 

自分で自分の御機嫌取りをするのにもエネルギーがいります。

脳の高次機能をフルパワーに働かせ、本能的な脳を欺き続ける必要があるんですよ。

 

こういうときって、結局最高の御機嫌取りは「寝ること」「まともなものを食べること」「ほどほどに体を動かすこと」「室温や明るさや匂いなどを好みのレベルに整えること」でしかなかったりしますね。

素晴らしい芸術に出会っても、心躍る本を読んでも、血が沸くスポーツを観ても、その時一瞬だけ脳のリソースをほぼそちらに全振りして辛さを感じるリソースを減らしているだけで、またふとした瞬間にかえって辛くなったりするんです…。

脳の高次機能分野の基礎体力をレベルアップする、という方法もないわけではないんですが、わりとそれって賭けな部分があって、遺伝的な要因にかなり左右されるし、通常の「勉強」と一緒で、適切な負荷とその反復を繰り返す必要があるんですよね。

なかなか簡単にはいかないと思われます。

 

結局、今の自分が持てる脳の「欺き力」をそれなりの力で発揮させ続けるのが一番現実的だと思っています。

そのためには結局、眠りや健康面で脳を応援するしかないな、という結論に最近は落ち着いています。

脳をいたわることが人間らしく生きることなのかな、と思うので、寝ます。