大三島に移住した某薬剤師の脳みその中

生き物らしく生きたい!と思い大三島へ。毎日が冒険。

自分の御機嫌取りの話

自分の御機嫌をとれるようになりたい。

 

 

子供は自分の御機嫌とりができません。

楽しいお出かけでもキレ散らかしたり、厳粛な場でも大笑いしたりする。

これは主に高度機能を担う大脳が未発達で、経験や知識の集積が不十分だから、と考えられます。

 

高齢者も同様。

特別扱いされないと怒り、他人の目も顧みず謎のマウントを平気でとる。

やたら機嫌がよくなる人というのは比較的まれで(たいていそういう人は昔からあまり細かいことにうるさくない人だったり、他人にあまり興味がない人だったりする)、だいたい僻みっぽくなったり、怒りやすくなる。

これは大脳辺縁系の「不安」「怒り」といったネガティブな感情が学習により比較的豊富に存在して衰えない割には大脳皮質などのそれを理性でコントロールする部位が衰えてくるから、と考えられます。

身体の不自由や寿命への不安・怒りは消せない、というか、基本的には増大するほかないので、ある意味仕方ないととらえる他ありません。

 

 

人間も生き物なので、基本的には「嬉しいこと」よりは「嫌なこと」をしっかり覚えていると思われます。

嬉しいことを覚えるのは確かに大事ですが、基本的には「嫌じゃなかったこと」と「嫌だったこと」を覚えることにかなりのリソースを割いていると考えるほうが自然でしょう。

すごく美味しくて嬉しい食材を覚えることより、お腹を壊さない食材、お腹を壊したり最悪死に至る食材を覚えることのほうが生きていく上では重要。

風景が良かったり木漏れ日が気持ち良い道を覚えることより、怪我をしなかった道や外敵があまり出てこない道、あるいは過去に怪我をしかけた道や外敵と出くわした道を覚えることのほうが重要。

 

 

人間の特殊性を語るうえでトピックとなることはいくつもあるけれど、個人的には「人間は不快から快楽を自分で作る」というのが非常に好きです。

生き物だって快楽は求めるのですが、上記のように、基本的には重要度的に「不快>快楽」です。

温泉に入るサルも外敵が見えたらパッと飛びのくし、くつろいでいた犬も注射されるとわかった途端に怯えたり怒ったり逃げたりします。

不快なものは不快、非常に素直な反応です。

 

人間は不快を大脳皮質の力で快楽に捉えなおせるのがかなり異常です。

「健康のためだから注射は痛いけれどやってよかった」「仕事はつらいけれどお金がもらえるからOK」とか、当たり前のことだけれど生き物的には異常。

基本通常の生物ならば「不快」ととらえて忌避することを、脳の力で「快楽」ととらえなおしてやっちゃうところがだいぶトチ狂ってます。

 

 

ということで、私も人間なので、日々不快を脳みそイリュージョンで快楽と変換してなんとなく幸せっぽく生きているわけですが、やっぱり辛いことが多いんですよ。

 

あったかくなってきたのに寒い日があると辛い。

花粉が飛びまくると辛い。

仕事が忙しいと余裕がなくて辛い。

遊ぶ時間がなくて辛い。

その他いろいろ。

 

自分で自分の御機嫌取りをするのにもエネルギーがいります。

脳の高次機能をフルパワーに働かせ、本能的な脳を欺き続ける必要があるんですよ。

 

こういうときって、結局最高の御機嫌取りは「寝ること」「まともなものを食べること」「ほどほどに体を動かすこと」「室温や明るさや匂いなどを好みのレベルに整えること」でしかなかったりしますね。

素晴らしい芸術に出会っても、心躍る本を読んでも、血が沸くスポーツを観ても、その時一瞬だけ脳のリソースをほぼそちらに全振りして辛さを感じるリソースを減らしているだけで、またふとした瞬間にかえって辛くなったりするんです…。

脳の高次機能分野の基礎体力をレベルアップする、という方法もないわけではないんですが、わりとそれって賭けな部分があって、遺伝的な要因にかなり左右されるし、通常の「勉強」と一緒で、適切な負荷とその反復を繰り返す必要があるんですよね。

なかなか簡単にはいかないと思われます。

 

結局、今の自分が持てる脳の「欺き力」をそれなりの力で発揮させ続けるのが一番現実的だと思っています。

そのためには結局、眠りや健康面で脳を応援するしかないな、という結論に最近は落ち着いています。

脳をいたわることが人間らしく生きることなのかな、と思うので、寝ます。

 

生き物とヒトとの付き合い

f:id:morimi2016:20221113215752j:image

↑一時回復してきたかのように見えた金魚

 

お祭りの金魚すくいで娘がもらってきた金魚がいます。

はじめから白点が付いて調子が悪かったのですが、絶食や薬や水温管理などいろいろやってみて一時は多少回復してきたように見えていました。
でも昨日の晩ぐらいから急に弱ってあっという間に危篤状態…悲しいですが、一時の癒しとわくわくを与えてくれた金魚と出会えたことにただただ感謝しています。


長年飼っていた亀も死んだばかり…水生生物はなんだか悲しい事が多くて辛いです。

 

 

 

一方でモルモットはプイプイ鳴きまくり、犬はキュンキュン甘えまくり…。
元気元気で100点満点です。
犬は甘噛みがなかなか取れず苦労していますが、多少分かってきている気はするので気長にやるしかないですね。
基本はただただ甘えん坊なのに素直に甘えられない不器用な子です。

 

 

 

生き物を飼うというのは基本エゴだと思っています。
それは伴侶動物でも、産業動物でも、実験動物や保護動物でもみんなそう。


でも、ヒトという生き物は本質的にエゴな生き物で、そうでなければ生きていけないと思っています。
山を開くのも、土地をならすのも、海を汚すのも、土地の生態系とは関係ない草木を育てるのも、みんなエゴでしかありません。
ヒトは素っ裸でありのままの自然の中で生きていけない生き物ですから。

 

道具を使うサルがいたり、糞が地形を変える鳥がいたり、餌を育てる蟻がいたり、一面的に見れば「ヒトっぽい」ことをする生き物ならけっこういるものですが、意図的にやっているかといえばそうではなくて、たまたま上手くいったから繰り返している、あるいは生活していたらたまたまそうなった、というだけで、ヒトほど意図的に「自分らの為に環境を変える」生き物はいません。

 

 

 

そんなヒトは地球の悪役なのか、といえば、私はNOだと思っています。
環境を変えるナニカがあって、新たな進化や新たな時代が始まるわけで、たまたまそれがヒトだっただけで、それって悪でも善でもないじゃないですか。
光合成をする生物の登場が太古の大気組成をガラッと変えてアレコレ死んじゃったけど、別に光合成をする生物は悪くも良くもじゃないですか。
たまたま生まれただけだし、たまたまそれが環境を変えちゃっただけだし、それで滅んだものは運が悪かったねぇ、ってだけで。

 

ヒトも未来永劫繁栄し続けるとは思えないし、いまのヒトという種族がこれ以上の生物的な進化は遂げる事がないと思います。羽がついて飛べるようになるとか、水中で息ができるようになるとか。
そんな種族が現れたらヒトではなく、ネオ・ヒト的な存在としてさっくり現ヒトを滅ぼして大繁栄するんじゃないですかね。

 

 

 

というわけで、何が言いたかったかと言うと、今のヒトはヒトとしての近視眼的なビジョンを持ちつつ生きる他ないと思います。
つまり、せいぜい子や孫程度がマトモに生きていけりゃいいな、的な感じで生きる他ない、ということです。
当たり前のように動物を飼ったり、植物を育てたり、山を削ったりならしたりしながら生きる他ないんですよ。

 

そうなると、野犬や野良猫ばかり増えまくるのはヒトサイドから見た時に不衛生だし危険じゃないですか。
ペットはペットとして(半ば強制的に)寄り添わせているんだから、こちらもそれなりの誠意を持って寄り添うのがヒト流の落とし前だと思います。


ヒトと寄り添って生きる他ない産業動物や品種改良された植物などは必要な数をなるべく効率的に育てるのがベストじゃないですか。
産業動物をゼロにして生きていけないんですから、ヒトは。
大事に育てて、継がせて、さらに良いものを選んでゆくのが子孫への引き継ぎ方だと思います。

 

なるべく環境は破滅的に壊さないように利用していくのがまぁ妥当なところでしょう。
破滅的、というのがミソで、ナンボか壊すのはもうしょうがないんですよ、ヒトなんだから。

 

 

 

冷蔵庫に入れた魚をウマイウマイと食ってヒーター入れた水槽に沈む金魚の危篤に涙するのはヒトという種をヒトたらしめているエゴのなせる技で、まったくアンビバレントなものではないと思っています。

 

f:id:morimi2016:20221113215758j:image

↑人みたいな顔をする犬

 

ジェネリックは無理ゲーなんじゃないか

薬剤師だし、

会社の方針には素直に従うほうだし、

今後の医療保障のために今何ができるか考えるのは超大事。

 

…だと思っているけれど。

 

でも、わりと最初のほうからジェネリックは無理ゲーなんじゃないか」と思っていたほうです。

 

まず、ジェネリックに関してめちゃくちゃ雑におさらいしてみましょう。

 

詳しく知りたい人はこのへんでもさらっておけばおK。

要は公式見解ですからね。

私めら、保険薬剤師は厚生労働省サマの手足というかイヌというか、まあそういう立場ですので、これ以上オフィシャルな説明は私にはできませんことよ。

www.mhlw.go.jp

 

さて、某薬剤師的超雑な説明をするとこんな感じです。

 

名前:正しくは「ジェネリック医薬品

どんなものなのか:特許が切れた薬を特許を持たないほかのメーカーが売り出した薬のこと

先発品と何が一緒で何が違うのか:

  一緒:有効成分の含有量や放出速度は実験で同一であることが証明されている

  違う:圧倒的に安い、デザインや飲みやすさなどが違うことが多い、有効成分以外の成分(かさを増すためのものや、色付けに使うものなど)が違うことがある

某薬剤師はどう考えているのか:

自分の薬は迷わずジェネリックを選択しています、安いから。めちゃくちゃ繊細な病気も抱えていないので。

患者さんには勧めるときもあれば、勧めないときもあります。

 勧めるとき:長期にわたって使用するので支払いに大きな差が出るとき、風邪薬などごく一時的なので先発だろうがジェネリックだろうがぶっちゃけたいして変わらないとき、生活保護者(国のきまりで原則ジェネリックなんです)、製剤工夫がしてあるジェネリックのほうが飲みやすいとき(子供の粉薬が苦くなくなっていたり、錠剤が小さくなっていたり、先発品よりあとに出てきたジェネリックのほうが工夫されていることが多い)、特にこだわりがない患者さんだったとき(安いほうがいいでしょ、薬局的にもメリットがあるし)

 勧めないとき:強いアレルギー体質などでほんの些細な変化でも影響がでそうなとき、皮膚科の薬などで使用感が大きく異なるとき(有効成分以外の成分は異なることがあるので、硬さや伸びなどが違うことがある)、心理的に見た目や色などが変わると体調が変わってしまう患者さんであるとき(精神科の薬などは心理的な部分もとても重要)、患者さんが嫌だと思うとき(無理には勧めません)、医師から「この薬は先発で」と指示や打ち合わせがあったとき(あえて尋ねはしませんが、何か深い理由があるんでしょう)

なぜ保険薬剤師はやたらジェネリックをすすめるのか:

勧めないとペナルティを受けるし、たくさん使ってもらえるとご褒美がもらえるから。え、誰からって?国からですよ。国から。

ではなぜ国はやたらジェネリックをすすめるのか:

高齢化と医療の高度化で医療費爆上げ、少子化で労働者が減って保険料の取りどころに限界が。そもそも景気もずっと悪くて慢性的な金不足(まあ、金不足ととらえるか、流通不良ととらえるか、そのへんの議論は専門外なので経済学者にでも訊いてください。)で、いろいろ無理ぽだから。

なるべく安い薬を使ってもらい、医療費爆上げがチョイ上げぐらいにならんか、ということです。

 

 

さて、詳しいことはこれ以上必要ないのでとりあえず「ジェネリックってなんやねん」の部分は以上にして、なぜ、某薬剤師はジェネリックは無理ゲーなんじゃないか」と考えているかについて。

 

そもそも、日本の人口というか、経済圏というか、そういうものがとにかく中途半端。

ジェネリック云々に関しては欧米から取り入れたやり方なんですが、欧米はそもそも人口すごいし、超セレブから超貧民までありとあらゆる人がいて、経済圏もでかくて、ベンチャー企業とかも日本みたいになんでもかんでも規制規制フルボッコというわけでもなくいっぱいいるわけですよ。

だからこそ競争原理が働くし、いろんな差別化に意味が出てくると思うんですよね。

生命にかかわるものだから、さすがに「粘土固めて薬の形にして売る」とか「1錠ごとにまったく成分量が違う」とか「やばい不純物が結構入っている」みたいな会社は撲滅すべくお上の一定の介入はあるけれど、市場がでかいがゆえに参入企業の数は多いし、安い薬を求める人も高い薬を求める人もそれなりにいるので多様性も生まれて、どれもそれなりに生き残っていくわけです。

 

あ、まったく話がそれるんですが、参考までに読んだFDAアメリカの厚生労働省)の「ジェネリックってなんやねん」のページ、絶妙に英語が簡単、というかきれいでリーディングの練習にピッタリでした。

www.fda.gov

 

で、ですよ。

日本の場合、皆保険制度で、医薬品の値段は公定価格なんですよね。

しかも、その値段が毎年更新されて、徐々に安くなるシステムをとっています。

なので、先発品を作る会社ですら何年も薬を売っているとどんどん安くなってジリ貧、ジェネリックを作る会社はもともと価格が安く設定されるがゆえに何年も薬を売っていると丸損になるほど安くなってしまったりするわけです。

そうなると、製造をやめますよね。ジェネリックなんてばかばかしくて作ってらんねーや、となりますよね。

 

実際、ここ数年でいろいろあっていろいろ製品がなくなっています。

小林化工の不祥事がことの発端とは言えますが、たぶんこれがなくてもあと10年もしないうちにどこかの会社が無理な営業をして不祥事をおこしたり、あれこれ原価割れして製造中止になったりしていたでしょう。

 

ある意味先発+ジェネリック多種類、というのはリスクヘッジとしても、選択肢があるという意味でもとてもいいのですが、最近は先発+ジェネリック大会社の2,3種、みたいになってきているので、どこかのメーカーが急に作るのをやめたり、いろいろな事情(原料は海外調達のものが多いので、どこかが戦争始めたりするだけでも影響を受けたりします。)で十分に作れなくなったりすると途端に流通が死ぬ状況になっています。

公定価格だから円安になって原料が高くなっても損を被るのはメーカーだし、製薬会社は苦しい時代ですよね。

 

通常の資本主義でいけば、価格設定は自分でできるし、利益が出るものはどんどんシェアをとって、利益の出ないものはバッサリ捨てたりどこかの会社に技術を売ってしまったりすればいいのですが、医薬品はそれができない。

そうなると、そもそも安いジェネリックなんてほんと商売として詰んでいるようにしか思えないんですよ。

日本程度の規模だと、体力のある会社が結局ほぼすべての市場を占めてしまって、いろいろ選べるわけでもない、どこかの製品がポシャッたときにもうどうしようもない、なんなら先発ですら不足する、みたいな事態になってしまうわけです。

 

 

で、これからどうすればいいのか、という提案は眠いのでもう出てきません。

ジェネリックのない日本にはもう戻れないし、余裕のある価格設定もまず無理。

そもそも医療費削減だ!健康年齢を伸ばすアレコレ!もたかが知れているし、かといって高齢者を姥捨て山に捨てに行くみたいな極論になってもいけない。

少子化が解決する方法は何かあるのなら教えてほしい。

個人的にはセックス離れ世代の気持ちのほうがよくわかるので、これってもう絶滅に向かう民族として仕方がないのかとあきらめている部分もある。

 

 

本来薬って貧乏人には手の届かないものなんですよね。

当たり前のように手に取れる、本当にいい時代になったなとは思っています。

でも、安すぎるんちゃうか、とは正直思っています。

今時、食料品少し買っただけでも1回500円とか1000円ぐらいにはなるのに、山盛り薬をもらってもひと月1000円ぐらいで終わってしまう高齢者を見ると、複雑な気分になります。

公共的な医療福祉は絶対必要だけれど、いいかげん「ナンボかは自分で備える」みたいな考え方も必要なんじゃなかろうか。

 

 

明るい話が一つもできずに真っ暗になってしまいましたね。

夜なので仕方ないです。

ポジティブゥゥゥゥ!!なことなんて夜に考え付かないです。

おやすみ宇宙。

眠いと何もできないよ

マジで。

とりあえず、なんだかうまくいかないときは

 

寝て

食って

もう一度寝る

 

ぐらいでかなり良くなります。

 

あと、大事なのはちょっと小汗をかくこと。

チョイと言うことを聞かない若くて元気な犬を散歩に連れていくぐらいが私にはちょうどいいです。

明らかに前より悩まなくなりましたね。

散歩の後半、犬が調子に乗りすぎてわけ分からなくなるので、さらに小走りとかして小汗かきます。

困った困った、でもまあよろしい。よろしくないけれど、よろしい。

 

最近、糖尿病や高血圧の人の話を集中的によく聞くようにしているんですが、とにかく寝不足が多い。多すぎる。

考えすぎる性格だったり、逆に活発で元気すぎる性格だったり、で、とにかく寝不足気味。

寝不足の人は疲れた頭をドーピングするために自然と甘いものを求め、味のはっきりしたものを求め、それが癖になると薄味を物足りなく感じ、結局生活習慣病になるような生活になっていく。

生活習慣病は生活習慣からなるんじゃなくて、どこかで寝不足が降り積もって、生活習慣がくるって、それで病気になる、というのが最近の実感です。

 

やっぱり体は資本です。

よく言ったものです。

不思議なこと

ほとんど休眠ブログなのにまあまあみてくれている人がいるという事実。

わたしは有名人ではないので、おそらく「島いいなぁ」とか「移住したいなぁ」とか思っている人がなんだかんだで結構いるということでしょう。

このブログは収益目的ゼロなので、SEO対策なし、ブログテーマもバラバラ、あちこちリンク貼りまくってもいない、ただただ静かに垂れ流しつつ休眠したりしなかったりしているだけなのに…。

移住した身で何を言う、なんですが、移住って何を求めてするものなんでしょうね。

 

 

 

ブログ休眠中はイヌと遊んでいました。

ただいま11ヶ月、自己主張したいお年頃の雑種犬。

娘(3歳)とのインタラクションはあまりありません。

(まあ、犬が飼いたかったのは私なので、私と犬との交流があればそれでいいんです。)

 

 

 

島に来てよかったなぁ、と思っているし、島に来てこれをしたい、と思っていたことはわりと我慢せずやっています。

その一つが「犬を飼うこと」だったりします。

いくらでも散歩するところはあるし、人や車の往来もあまりないのでちょっとやそっと走ったりリードをひっぱってもまあ問題ないし、多少吠えたからと言っても誰も困りません。(一応、それなりに人の世界で暮らすための教育はしているつもりですが。)

犬が心おきなく飼えて、大変満足です。

 

あ、そうそう、大三島には獣医さん、いらっしゃるんですよ。

ポイント高い!!

一時預かりもしてくれます。

助かる…!!

 

 

そう、それで。

島に来る人は何を求めてくるんでしょうね。

不思議と言えば不思議です。

私もなぜ来てしまったのか…まったく不思議じゃない、というと嘘になります。

 

そりゃ、

人混み避けたい

満員電車無理

家賃高いの困る

車生活がいい(運転はあんまり苦じゃない)

(移住当初は子供はいませんでしたが)ペット飼育や子育てでキリキリしたくない

フレッシュな野菜や魚食べたい

温泉あると嬉しい

神社とか文化的背景が多少あると嬉しい

でも最低限スーパーやコンビニほしい

仕事は近くでやりたい

あんまり排他的な土地は嫌

ネット環境と上下水道は欲しい

台風とかで物流が何日も遮断されるのはちょっとしんどい

などの条件を満たす、という意味で大三島はとっても良かった、というのはあるんですよ。

 

でも、最終的に「なんとなく、このへん、好き」で決めてしまったので…そのへんは大山祇神社に呼ばれた、と思って納得している部分があります。

 

 

ゲストハウスのお客さんの中にも「移住希望です」とか「もう移住予定です」という人が少なからずいて、結構驚いています。

そんなに都会、しんどくなっちゃってるのかな。

都会は都会で本当に便利だと思うけれどね。

特に、Uberとか、タクシーとか。

 

 

夜までお店が空いていないのは、慣れました。

というか、なんでもかんでも夜まであいているのは異常とすら思うように。

よく寝るの、大事。

 

 

何が書きたいんだか。

ばらばら。

雨が、バラバラ。

台風が来ているので、もう何もしようがない。

おやすみなさい。

身も蓋もない教育の話

大変センシティブな内容も含むので、誤解なきよう言葉は選んだつもりです。

どこかだけ切り出して読むぐらいなら読まないでください。

読むなら最後まで読んでください。

 

まあ、そこらへんの一般人の脳みその中の話なので、読むに値する内容かどうかは保証しませんので。

そのへんよろしくです。ハイ。

 

 

さて、犬を飼い始めました。

憧れの犬です。

子供のころからずっと飼いたかった犬です。

すっと飼いたかっただけあって、犬種のこと、飼い方のこと、トレーニングや病気のこと、グッズや犬にかかわるいろんな法制度などあれこれ、頭でっかちやなぁ、と笑われるぐらいあれこれ勉強したうえで、あとはエイヤ!の勢いでお迎えしました。

毎日犬と遊ぶ時間が最上の楽しみになっています。

 

保護犬ということで犬種はまごうことなき雑種です。

よくありがちな柴犬っぽい面構えの、いかにも犬といった感じの犬です。

正確な誕生日は分かりませんが、お迎えした時点で生後3か月手前、といったところでしょうか。

家族になった以上、人の暮らし、我が家の暮らしに慣れてもらわねば困ります。

お互いいろんなことを勉強しあっているところです。

 

犬というものは長い歴史の中で意図的に人の手がかけられてきた生き物です。

羊を束ねるため、番犬してもらうため、獲物を追いかけてもらうため、獲物を拾ってきてもらうため、おとなしく撫でられてもらうため、レースなどで早く走らせるため、闘犬で勝ってもらうため、など明確な目的をもって犬種は固定されてきています。

どんな犬でも教育でいろいろなことはできるようになりますが、DNAに染み付いたそれぞれの犬種の特性はあらかじめ理解したうえで教育する必要があります。

車や生き物など動くものを強く追う性質があったり、人が好きすぎて誰彼構わずじゃれる性質が強かったり、頑固でなかなか人をすんなり信じない部分があったり。

そんな性質をよく理解して、現在の人間生活には時には害になるような性質を抑え込むように教育したり、その性質を人の生活に害にならない形で活かせるようなアクティビティを生活の中で積極的に取り入れていく必要があったりします。

 

我が家の犬は雑種なのでどういった性質や特性が出てくるかは不明ですが、ベースは柴犬系日本犬っぽいのでそれなりに自立心があるタイプじゃないかなと思っています。

日本犬、とひとくくりにするのはさすがに雑ですが、それでも洋犬と比べると

*べたべたかまわれることが苦手なことがある

*信頼関係がある人には忠実だが誰にでも心を開くわけではないことがある

*じっと目を合わすのはあまり得意じゃないことがある

*あれこれ細かく指示されるよりは自分で考えるほうが好き・得意な傾向がある

*自立心が高く、それなりのプライドがある

*何事に関しても警戒心が高すぎることがある

*(特に柴犬)不安や興奮で吠えたり噛む傾向強く、咬傷事故になることが多い

など、多少は念頭に置いておくべき特性があります。

もちろん個性があるので、何事も決めつけてはいけませんが、いくらかは「噛み癖のトレーニングはしっかりめにしておかないとな」「いろいろなものに慣らさないとな」などとは頭の片隅に意識を置いてお付き合いしています。

 

 

人間の教育もやはりDNAの特性は念頭に置くべきだと思うんですよね。

子供の可能性は無限大、というのは事実ですが、良くも悪くもカエルの子はカエル、というのも事実だと思うんですよね。

 

我が家の娘も、「身体がバリ固の夫」と「運動神経ちぎれている系の私」の子なので、おそらく職業バレリーナとかにはなれないと思うんですよ。

もちろん、本人がやりたい!と興味を持てば教養程度にはやらせてあげたいですが、生き馬の目を抜くプロの世界に行くんだ!と言い出したら「落ち着け」と言うと思います。

マイナスからのスタートであることを本人が理解したうえで、それでも挑戦したいという覚悟があり、実際にマイナスを埋める努力をしているならば応援はしますが…。

 

スポーツはわりと理解できる、と共感を得られそうなんですが、正直勉学においてもその他の日常生活においても一緒だと思うんですよね。

「視覚情報に強い人」「聴覚情報に強い人」「同時処理能力に優れた人」「空間認識能力が高い人」など、DNAに振り回されるパラメーターって本当にいろいろあって、残酷なようですが、努力しなくてもできること、努力してもなかなかできないこと、というものは確実に存在します。

 

身も蓋もない話をすれば、親の自己分析が教育のベースになるんじゃないかな、と思うわけです。

苦手(になりそう)なものは丁寧に、少しずつ、確実に教えていく。

得意(になりそう)なものは興味を持てるようにお膳立てをする。

そういったことが大事だと思います。

何事も「努力」とか「根性」だけじゃないと思うんですよね。

 

 

こういうことを言うと、「可能性を狭めている」「親を追い詰めている」とか言われたりするんですが、逆ですよ。逆。

目が見えない人に努力と根性で文字で勉強しろというのは酷な話です。(それがいわゆる差別ですよね。)

視覚情報以外を使って学習をしたり、資格情報以外が特に重要な分野を習得できるように手伝ったりするのが筋ってもんでしょう。

子の特性をしっかり分析して、親は親で自分の特性を分析して、伝え方や機会を工夫する、というのはしんどいけれど楽しいことだと思うんですよね。

犬の雑種もそうですが、親の特性が分からない場合は教育者の経験や知識で補うことが必要になってきますが、そういう場合はそれこそ遺伝子検査等で特性を知る、というのもアリなのかもしれません。

 

 

教育なんて思い通りにはいかない、というのは当然ですが、だからこそ傾向分析と対策は必要かな、と思います。

犬種別のトレーニング重点の違いと一緒じゃないでしょうか。

教育する側も、される側も、より幸せに生きるために。

果たして誰が好きなのか

ジャズというものに初めて触れたのは高校時代。

当時、NHK FMで「セッション505」というラジオ番組(DJ 小川もこ氏)があって、たまたま聴いてすっかり虜になり、毎週聴いていました。

よく分からないけれど、かっこいい。

それが第一印象。

 

たまたま高校の吹奏楽の大先輩方が社会人バンドをやっていて、年の離れた後輩として随分かわいがってもらいました。

ビッグバンドのダイナミクスに触れて、さらにジャズ面白くなる。

 

大学は吹奏楽・クラシックの世界から離れてジャズばかり。

とはいえ、理論も知らない、マジ物のプロバンドの演奏なんて聞いたことない、Youtubeなどもそんなに聴きあさっていない‥というお粗末ぶり。

よい仲間に恵まれ、のびのびといろいろな場面で吹かせてもらえたのは本当に幸せでした。

 

就職して、しばらく楽器とはさよなら。

でも、ジャズはさらに好きになりました。

というのも、営業車であちこちうろうろする際、音楽やラジオはちょっとした楽しみで。

ポップスも聞いていましたが、昔から歌詞には興味がなく(というか、何度聞いても、覚えようとしても、耳に入ってこない、覚えられない。)、音として聞いている上で「ビリッ」とくるサウンドはジャジーなコード進行だったり。

平たく言うとノンダイアトニックにキュンとする。

クロマチックな動きにドキッとする。

テンションさんいらっしゃい。

 

移住・転職後はぼちぼち理論を勉強してみたり、楽器もたまには触ったり。

でも、ワタクシ、カテゴリー的にはただのワーキングママなのでね、基本的には吹くより聴くです。

そして、いつぞや通った道を我が物顔で突っ走る2歳の珍獣と、いずれ行く道を先導する老いた人・病める人と日々過ごしていますので、自分の道はどこなのかしら、と迷うほど基本疲れています…といった状況で、好みが変わってきたように感じております。

 

 

ジャズトランぺッターあるあるですが、以前はハードパップ(ジャズの一時代を築いた演奏スタイル。たぶん、多くの人がイメージするいわゆるジャズ。)がやっぱりかっこいいっしょ、と思っていたんですよね。

エスニックな香り、熱気と鋭利な感性、メロディアスなでキャッチーなテーマ。

例えるならばカレー。

美味しいに決まっている。

たまに口馴れないスパイスや、調理者の好みでむせることもあるけれど。

 

でも、胃が弱ってくると、ちょっとしんどい。

 

こうなってくると、いままで陳腐に聞こえていたものが無性に恋しくなってくる。

おだやかなBossa Novaもいい。

日本人が愛してやまないピアノトリオ系もいいかも。

オシャレギターとかもいいよね。

だいたいスタバでかかっているようなやつ。

結局、日本人はだいたいみんな疲れているんじゃないかな。

ああいうのが流れているってことは、さ。

 

胃がおちつくと、たまに摘まみたいものもある。

コンテンポラリー系。

ジャンル=プレイヤー系。

ガチムキ野郎の運動会的なフルバンド。

 

で。

ですよ。

 

そうやってあれを聴きたい、やっぱりこれが聴きたい、というのを何度も何度も繰り返してきているうちに、「この人はいつでも好き」というものがやっと見えてきて…

 

誰でしょう。

 

恐ろしいですよ。

 

ほんと。

 

 

 

Ella Jane Fitzgerald

 

 

 

なんと、ね。

 

歌詞なんてこれっぽちも分かってないのに。

 

ボーカル曲が特別好きなわけでもないのに。

 

なんならインストのほうが好きなのに。

 

若いころのはつらつとしたハイトーンで元気をもらい

円熟期の有無を言わせぬ説得力にたじろぎ

晩年らへんのほろ苦さに涙する

 

録画、録音技術が未熟な時期のものなんて、聞くに堪えない音質だったりするんですよ。

でも、すごい。

聞けてよかった、逢えてよかった。

 

まあ、共演しているプレイヤーもさすがThe First Lady of Song だけあって、皆The President of Song レベルなんですけれどね。

特にJoe Pass

一流ミュージシャン同士、お互いの信頼あってこその演奏。

 

Ellaは例えるならば、チョコレート。

甘いけれど、ほろ苦い。

 

 

歳をとったらカレーはなくても生きていける気がします。

でも、歳をとってもチョコレートはないと生きていけない気がします。

主観的な話ですけれど。

 

 

また、歳をとって、いろんなことを経験したら、こういった感覚も変わるんでしょうね。

10年後、私は何が好きと言っているかな。

 

 

それにしても、好きなミュージシャン、プレイヤーの名前を挙げるというのは非常に難しいものです。

先にも述べた通り、基本「ちょっとジャズ寄りの音楽が好きめのオバハン」という状況なので、「好き」というほど聞き込んだり研究しているわけでもないし、仮に「好き」といえるほど好きなミュージシャン、プレイヤーであっても、「この曲は嫌い」とかいうのも当然あるので、その辺は悪しからず。

普通にBTSとか好きだし、ヒゲダンとかKing Gnuとか星野源とか聴いちゃうオバハンですからね。